名張西高校:由来と沿革

由来と沿革 



学校の環境と由来

西高横の池 本校は人口約8万5千人の名張市の中心市街地を一望する『百合が丘』ニュータウンにある。 2万7千㎡以上の広いグラウンド、それに匹敵する緑に囲まれた大きな池が校舎前方にあり、 また周辺に公園や森が広がり、小鳥のさえずりがそよ風にのって聞こえる快適な環境に位置している。
 名張市は3万の人口であったが、昭和40(1965)年代後半から大阪のベッドタウンとして、 桔梗が丘団地を最初に住宅団地が次々と開発される中で、人口増にともない 「国際化と高度情報化の新時代にかなった高校」という地域住民の強い願いと熱い期待を受けて、昭和61(1986)年に名張で第3番めの高校として発足した。 名張は三重県の西の玄関口であり、しかも名張市の西に位置する高校であることから名張西高の校名となる。



校章の由来

校章
 本校は、景勝赤目四十八滝の近く、名張南西の小高い百合が丘に立地している。 従って、小高い丘と百合の花の組み合わせを基盤に、滝の流れ(なだらかな曲線)とWEST(花弁のW)をあわせて図案化し中央に安定感をもつ「高」の字を配置した。  なお、百合の花は生徒の純真な心を象徴し、三本の花柱は、学校のめざす教育のねらいである「個性伸長」「進取創造」「心身練磨」を意味する。



沿革

1985年
3月

三重県教育委員会は本校の建設地を名張市百合が丘に決定

6月

管理特別教室棟、普通教室棟、体育館の建築契約を締結

体育館、武道場(第1期工事)着工

9月

運動場整地工事着工

10月

特別教室棟、普通教室棟(第2期工事)着工

12月

三重県条例43号により、1986年4月1日名張市百合が丘に「三重県立名張西高等学校」を開設する旨告示

1986年
1月

運動場整地工事完了

3月

管理特別教室棟、普通教室棟、体育館、武道場(第1期工事)竣工

4月

初代校長に月岡章郎発令

普通科、情報科設置

開校式・第1回入学式挙行

特別教室棟、普通教室棟(第2期工事)竣工

8月

情報棟着工

1987年
3月

情報棟竣工

汎用コンピュータ導入

11月

校旗・校歌制定披露

1988年
4月

英語科設置

1989年
3月

校門完成披露

4月

月岡章郎校長三重県立松阪商業高等学校長に転出

2代目校長に田川敏夫発令

11月

テニスコート夜間照明完成

1991年
1月

トレーニング室A・B竣工

2月

米国オレゴン州フィニックス・ハイスクールとの姉妹校提携事業開始

3月

中庭竣工

4月

田川敏夫校長三重県教育委員会事務局副参事に転出

3代目校長に岡島宏平発令

1992年
1月

部室棟A・B竣工

3月

教室棟東側渡り廊下、情報棟渡り廊下屋根竣工

1993年
4月

岡島宏平校長三重県立松阪商業高等学校長に転出

4代目校長に松本学発令

中庭から体育館への階段2本完成

1995年
4月

松本学校長三重県立松阪商業高等学校長に転出

5代目校長に荘司寿一郎発令

7月

フィニックス・ハイスクールと姉妹校提携正式調印

9月より同校と年間留学事業開始

9月

創立10周年記念事業実施

1996年
3月

第2LL教室設置

11月

中庭「ラ・プラス」竣工

1997年
4月

荘司寿一郎校長三重県教育委員会事務局 指導課長に転出

6代目校長に其道慶治発令

1998年
3月

情報棟2階及びパティオへのバリアフリー対応のスロープ設置

1999年
3月

普通教室にガス暖房器具設置

4月

其道慶治校長津東高等学校長に転出

7代目校長に油田敏和発令

2001年
3月

油田敏和校長退職

4月

8代目校長に中西幸男発令

7月

名張西高校バス停工事完成

2002年
2月

体育館フロア全面改修

2003年
3月

西門前に「掲示板」設置

12月

名張西高校「横断幕」作成

2005年
3月

グランド観覧席設置

中西幸男校長退職

4月

9代目校長に辻井賢隆発令

2006年
創立20周年記念事業実地
2007年
3月

辻井賢隆校長退職

4月

10代目校長に岩間知之発令

2009年
3月

B棟トイレバリアフリー改修完了

4月

岩間知之校長三重県教育委員会事務局教育改革室長に転出

11代目校長に澤田昌平発令

6月

フィニックス・ハイスクールと姉妹校提携解消

12月

オーストラリアのリンディスファーン高校と交流開始

2011年
5月

普通教室棟に空調設備設置

2014年
3月

澤田昌平校長退職

4月

12代目校長に加藤幸弘発令


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