名張西高校:学校長より

校長のブログ 

平成29年1月4日(水)

 新年、明けましておめでとうございます。  昨年は、関係の皆さまのご理解とご尽力により、名張青峰高校の開校という、名張市の高等学校としては名張西高校が開校した昭和61年(1986年)からみて30年ぶりの出来事がありました。本年は、名張青峰高校のますますの充実を図るとともに、「高台の学舎」と校歌に歌われた私たちの名張西高校がラストイヤーを見事に飾れるよう取り組んでいく年にあたります。新しい学校を作っていくというまさに数十年に一度の取組と、30余年の歴史を持ちここで学んだ卒業生や地域の皆さんに愛された学校の有終の美を飾っていくという、県立学校として希に見る2つの課題に同時に取り組んでいきます。
 生徒の皆さんにとっては、いずれの学校に所属するにせよ、15歳から18歳という多感な時期に、自分のサクセスストーリーの中の大切なページをこの学舎で紡いでほしいと思います。そのために、他人との比較ではなく、自分の描く未来と自分の現状とを比較して、打つべき手を着実に打っていくことに慣れ親しんでほしいと思います。学校・家庭・地域がともにそれを支え、また、先導していきたいと考えます。 関係の皆さまには、様々な角度から倍旧のご理解とご協力をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

校長 加藤 幸弘(かとう ゆきひろ)


平成28年11月24日(木)

 平成28年10月13日(木) 全国単位制高等学校長等研究協議会が群馬県高崎市で開催され、全体会のパネリストととして本校の紹介をするため彼の地まで出かけました。
 高崎市に行ってみて、彼の地に能の一曲「鉢木(はちのき)」の話が残ること知りました。能といえばその大成者である観阿弥(かんあみ)は名張で一座を組んでおり何かの因縁を感じるところですが、鎌倉時代の逸話をもとにした謡曲「鉢木(はちのき)」のストーリーは皆さんはどの程度ご存じでしょうか? その概略は、次のとおりです。
 ある大雪の夕暮れ、上野(こうずけ、現在の群馬県)の国の町はずれの小さな家に旅の僧が現れて、大雪のため身動きが出来ず、一晩ここで泊めて欲しいと頼みました。家の住人の武士は雪に悩む僧を見かねて招き入れ、自分は佐野源左衛門といい以前は領地を持つ領主だったが、一族に奪われて落ちぶれてしまい今は何のもてなしもできない、といいつつ、旅の僧のために、大事にしていた松・竹・梅の盆栽の鉢の木をいろりにくべて部屋をあたため、「自分は今は落ちぶれてはいるが、もしも鎌倉幕府に一大事が起こったならば、すぐに鎌倉に駆けつけて幕府のために命がけで戦えるよう、馬と武具の手入れだけはしっかりとしている」と語るのでした。翌年争いごとが起こり、鎌倉幕府が全国の武士に招集をかけたところ、佐野源左衛門は諸国の武士にまじって「いざ鎌倉」とはせ参じました。それをみた幕府の執権、北条時頼(ほうじょうときより)は、佐野源左衛門に感謝し、かつて失った領地を再び源左衛門に与えました。あの雪の夜の僧は、姿を変えて諸国を回っていた北条時頼その人だったのでした。
 こうした物語は「いざ鎌倉」という語とともに、普段から準備を怠らずいざというときは駆けつけるといった話として、かつてはしばしば語られたものでした。私自身、どこで聞いたかは覚えていませんが、「鉢木(はちのき)」と聞けばピンとくるものがあります。
 古くから伝わる、何らかの教訓的なことを含んだ逸話の類いは、かつては年配者から若年者へ、祖父母から孫へなどと口頭で伝えられていったものですが、近年はそのような伝承による逸話等の伝達が行われなくなってきたように思います。マニュアル等にかかれている知識だけでなく、こうした逸話等を機会をとらえて伝えていくことも、年配者の努めではないかとあらめて感じたところでした。

校長 加藤 幸弘(かとう ゆきひろ)


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